「子育ては、いつまで経ってもひと段落しないから!」
「ちゃんと時間作ろう!」
長女を出産したときに、友人に言われた言葉。
既に下の子が年中さんで2子のママになっていた友人と、また集まりたいね、遊ぼうね。の流れで「子育てがひと段落したら~…」と続けたら、語気強めにそう言われました。(かなり笑)
あれから8年。
ひしひしとその言葉の意味をかみしめています。
その友人とはもちろん「時間を作って」、たまの近況報告を楽しんでいるし、その言葉をくれたことに、今でもとっても感謝しています。
ワーキングマザーに限らず、命を育て、幼い我が子と生活を共にすることは、時間があればあるだけそこを優先し、そこに時間も労力も費やしてしまいますよね。
先の同級生が言ってくれたように、ひと段落なんて存在しないし、余裕なんてものはない。
それがダメなことでもないし、むしろ世の中的には、それが母親として絶賛されています。
そろそろ減ってきているといいのですが。
で、まぁ。
ここで言いたいのは世の中の意識の話ではなくてですね。
世の中の意識がどうであれ。
その「余裕」なんてものは、意識していなければ生まれてこない。ということです。
時間と労力の断捨離(手放し)をするか
そもそものところを見直すか
さぁ。
どこから始めますか?
「自分の時間?わがまますぎますよ。」
当時、まだその3つの手段さえ思い浮かんでいないまま、職場と家を全力疾走し続けた私は、無理をすれば身体を壊すし、無理をしないと家庭に対して他人事全開の夫に引っ張られてしまう状況に、八方ふさがりになっていました。
独身の頃はそういうとき、友人と飲みに出かけた先で思考転換のヒントを見つけたり、映画やドラマで奮い立つものを励みにしたりしていたなぁ…
と。遠く思いながら、ふと。
育休が明けてからもう何年も、家のソファに座った記憶がないな…
アイキャッチにてご紹介しました!myソファです。笑
高校の頃から、家の近くにあるインポート物の家具屋さんが好きでよく通っていたんですが、そこで出会って一目ぼれしてからずっと。
「いつか自分で稼いで、1人暮らしをしたときに絶対に買う!」と心に決めていたソファがあったんですね。
大学に入学しても、バイト代では5桁のソファのお金も、1人暮らしのお金も出てこずでしたが、就職してからは思い浮かべるのは…
そうしてそこからも段階を経ながら、やっと!どちらも手にすることができ、それを実現できたと。
そうして、私と一緒に楽しい独身時代を過ごし、主人の了解を得て、一緒に嫁入りしたソファなのです。
そのソファに、結婚して1年以降、主人や娘が使うことはあれど、私は1度も座ったことがありませんでした。
座る暇がなかったんですね。
帰ってきても、料理、お風呂、添い寝で寝落ち、夜中に飛び起きて洗濯を干し、朦朧としながらまた布団に入ると、すぐに新しい1日がやってくる。
休みの日は朝からフル回転で、平日に見ないふりしていた家事に勤しみ、買い置き、作り置き、保育園の準備物に…
ソファに座ることがなくなってしばらくすると、今度は、ソファに座っている主人にイライラし、ソファが”怠惰”の象徴に思えてきて、座ってはいけない気さえしてきてしまって。激しく弱気になってしまったことがありました。
で、こんな弱気な自分が嫌過ぎて、あるサイトに「あなたの自分の時間の作り方を教えてください」と投稿したことがあったんです。
何件か回答をいただいたのですが、目に飛び込んできたのが、
「選んで母親になったんですよね?わかってて働くお母さんしてるんでしょ?」
「自分の時間が欲しいなんて、あなた多分まだ大変じゃないですよ。」
あの時は、「アドバイスありがとうございました。」の返答をするのが精いっぱいで、そっとパソコンと心を閉ざしたわけですが。笑
今となれば、あのとき、私の投稿の場を借りて、たくさんのワーママが悲鳴をあげていたんだ。と思っています。
「子育ての時間って、言い訳にもなる」
それでも、ソファに座って自分時間を満喫することを諦められなかった私。笑
そこからまた色々思考の組み換えにトライし続けての今、あの頃の自分を振り返ったときに言えることがありました。
「子育てって言い訳に最適よな」
言い訳って色々あるし、いかにも納得できるようなものもたくさんあります。
その中で、罪悪感がなく、挑戦を諦められるのに最適なのが、「子育て」なんじゃないかと思いました。
「本当にどうしても」ってときはそりゃあります。
でもそういうときはね、自分に言い聞かせたりしないんです。
周りにも解って貰えなくていいから、そう大声で言わないんですよ。
だけど、頑張らない・諦める・継続できない理由にするときは違う。
「周りもみんなそう。大変さなんて本人にしかわからない。」
「おとなしく職場と家を往復してる方が、周りは褒めてくれるし、それを当たり前だとも思っている。」
だから、言い訳なんて言われたら、あの頃の私はきっと「あなたにはわからないわ」と怒ったことでしょう。笑
それはきっと、図星だったから。
でも、何かを変えたいと思うなら、何かを始めたいと思うなら、
「つらい」のも「しんどい」のも、誰のせいでもないし、
「やらない」のも「できない」のも、誰のせいでもないのです。
じゃぁ私のせいなんでしょ!ってのもちょっと違うくて。
だって、やらなくても誰も困らないから。
なんなら、やらない方がいいと考える人たちの方が多いかもしれない。
だから、あなた「次第」ではあります。
「足枷」にも「強み」にもなる。
今でも、「できない」の殻は少しずつ破られていて、以前の「無理」が少しずつ「言い訳」に変わっています。
「とにかく、選択肢を貰えるならトライしてみたい!」
「失敗か成功かはまだ決めるときじゃない」
そして、それが軸を持つ「行動」なのか、無軸な「衝動」なのか、まだ危なっかしいところはあるんですが(笑)、「ママ」であることがいいブレーキになっているところもあり、またそれがワーママであることへの感謝に繋がったりしています。
環境や、境遇や、日常のいろんなものは、足枷にも踏み台にもなるんですよね。
大切なのは「自分で選ぶ」こと。
「自分で選べる」ことに気付くこと。
そして、自分で選べるって気付いたらきっと、「ひと段落したら」「今は余裕がない」なんてもったいないこと、言ってられないんじゃないかな。
・・・
そのソファに座って、ブログを書いていると、ついつい熱くなってしまうという…^^;
今日はこの辺でw
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